運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 安田 隆夫 著

運は私にとって永遠のテーマであり、その運について語るのを本業(事業経営)以外の最後のライフワークにしようと思っている。
そういう意味で、本書「運」は、いわば私の“遺言”のようなものだ。
本書では、私が人生とビジネスをかけて学んだ運のすべてを披露するので、貪欲に吸収していただければ幸いである。
それにより、読者の皆さんにも少しでも勇気と希望、幸せを与えられるのなら望外の喜びであり、私が本業以外でできる、これ以上の社会貢献と恩返しはないと思っている。

はじめに

私自身は特別に運が強いわけではない。
災難を招いた「不運」を、「幸運」にかえる力が強いのだ。
私は、人によって運の総量そのものに大差はないと考えている。
運のいい人とは「運を使いきれている人」であり、運の悪い人は「運を使いきれない人」あるいは「使いこなせない人」だと言える。

第1章 運という未開の大陸に分け入る

私が考える運とは、その人が成し得た人生の結果そのものである。
つまり、「運が良かった」というのは、その人が困難にもがきながらも、努力し行動した結果、人生が結果的により良い方向に向かったということなのだと、ごくシンプルに捉えている。
問題を考える際には、どこに問題点があるのか明確に認識することが必要である。
運は本人の意志と努力次第で、ある程度はコントロール可能だということだ。
運のいい人とは「運を使い切れる人」であり、運の悪い人は「運を使い切れない人」あるいは「使いこなせない人」だと言えよう。
そうしたことから、本書で定義する運とは、自らの行動によって機能する“変数”のようなものだと捉えてもらっていい。
誰にでも平等に発生する運の変動をうまく掴めるかによって、ビジネスと人生で勝ちを得る成功者になるかどうかが決まるのだ。
不可避なものに対する諦めの良さも、強運の基礎になるということである。
運の感受性というのは、自分にとって追い風となるチャンス、向かい風となるピンチを見極める能力のことを指す。
挑戦が運を引き寄せる前提 未来に希望を持つ「楽観論者」のほうが運に恵まれるということだ。
逆に、悲観論者には運はやってこない。
そもそも成功者というのは、リスクを恐れて悲観的に何も行動しない人ではなく、むしろ何かを成そうと、楽観的に常にチャレンジを続ける「挑戦者」である。

第2章 幸運の最大化と不運の最小化

不運の最小化は「幸運の最大化」によって可能になる。
すなわち、「幸運の最大化」こそが、運をコントロールする第一歩となるのだ。
人生とビジネスでは、勝率ではなく、得点と失点の差で勝利が決まる。
どこまでも点の総量(得失点差)を競い合う、エンドレスゲームなのだ。
従って、何回失敗したかということは、全く気にする必要がない。
小さな失敗(失点)がずっと続いていたとしても、たった1回でいいから大きな成功(得点)を収めれば、最終的にかつことができる。
圧倒的な“大勝ち”さえあれば、それまでのマイナスは全てチャラになるのだ。
得られる果実を完全に収穫できなかったことを、地団駄踏んで悔しがれる人が、本当に強い勝負師として強運に恵まれるのだ。
やってはいけないのが、「不運の時の悪あがき」である。
「アナグマ戦法」と、「見を決める」は何がどう違うのか。
前者が対象とするのは個人や個人の属する組織に関する出来事で、後者が対象とするのは個人や一民間人企業の力ではどうにもならない社会や経済の変動など、と私は分類している。
再挑戦を繰り返すことが、運を引き寄せ、大輪の成功の花を咲かせる唯一の道である。見切りには千両の価値があるが、再挑戦には、その十倍となる万両の価値があるのだ。

第3章 運の3大条件「攻め」と「挑戦」と「楽観主義」

運の追求というのは、合理性の追求とほぼ同義に捉えている。
運と合理性は一見、相並ばないトレードオフのように見えるが、私の中では密接不可分である。
例えばビジネスなら、私は常にその時点で一番合理的で確率の高いことをやろうとする。
この場合の確立とは、単なる勝率ではなく打率と打点の掛け合わせが最大値になることを意味する。
ちなみに私はそれを、「打率と打点の交差主義比率」と呼んでいる。
「交差主義比率」は、在庫の商品がどれくらい利益を上げているのかを確認するための計算式であり、「在庫回転率×粗利益率」を計算し、この効率が高いほど、効率よく儲かっている商品だ。
「堅守速攻」ではなく「速攻堅守」その時々の運気とか市場・経済環境等にもよるが、基本的に「守備7割/攻撃3割」といった配分を自らの黄金比として設定しているのだ。
ただ、守備に7割という大きな割合を設定しているものの、重きを置いているのはあくまで攻撃である。
「攻め」の姿勢を大事にしなければ、決して良い運はやって来ない。
得た教訓を糧にすれば、次の挑戦や熟考もレベルがどんどん上がっていく善循環が生まれ、結果として“盛運”を引き寄せることになるのだ。

第4章 何が運を落とすのか

「戦わなければ運は落ちる」。
私はこれまで、「戦略や戦術を語る前に、まずは戦闘モードを全開にせよ」と、口を酸っぱくして現場に、戦う姿勢の重要性を唱えてきた。
日本の家電・半導体メーカーは、中韓台メーカーの旺盛なファイティングスピリッツの前に、あえなく惨敗を喫したわけである。
もちろん、中韓台メーカーで働く人たちに比べ、日本のメーカーの従業員たちの能力が劣っていたいたわけでも、ヤル気がなかったわけでも、慢心していたわけでも決してないだろう。
これはひとえに、トップの経営気質と姿勢の問題だ。将が勇敢でなければ、強力な部隊をつくることは出来ない。
自らの任期中は余計なことをせず、平穏無事に乗り切ろうということで、「守る」経営だ。恵まれているがゆえに、往々にして彼らは守勢、すなわち自らのプライドを守るためにチャレンジャーになるのを避けがちになる。だから運がやってこない。
運を落とす大きな要因として留意すべきが「人間関係」だ。
運の良し悪しはほとんどが「人間対人間」の問題に帰結するからである。
すなわち他人との関係によって、自らの運を良くすることもできれば、逆に落とすことにも繋がろう。
他罰的な人とは、自分が置かれている境遇について、自分自身で問題を解決しようとせず、「世の中が悪い」、「会社が悪い」、「周囲の人間が悪い」と、他人を攻撃したり罰したりして納得しようとするタイプである。
こういう輩は、非常に寂しがり屋で、構われたがりやである。あなたのところにもにじり寄ってくるだろう。
この他罰的思考は、やがてあなたにも降りかかり、結果として要らぬ不運を招くことになるからだ。
他罰的な人の何が問題かというと、「主語の転換」が出来ないことである。
自分を過大に見せようとする疫病神 私がはなから信用しない人間として、自分を実際以上に大きく見せようとするタイプ。
例えば、自分の身の周りを分不相応に高価な物で飾ったり、実際よりお金を持っているかのように振る舞ったり、あるいは、話をやたらに盛るとか、さらには芸能人や政治家など有名人との付き合いがあるなど、とにかく自分を過大に見せようとする。
この種の輩は、ほぼ間違いなく疫病神だと思っていい。
そうした人間は他人を利用して踏み台にしようとするので、何も考えずに付き合っていると、自分が被害に遭う可能性がある。
彼らには極力近づかないようにするか、近づかざるを得ない場合も、一定の距離を保つべきである。
「結局、人は人のことなど分からない」これが私の辿り着いた結論である。
まずは「分からない」という不都合な真実を直視し、将来にわたっても「完全にわかるようにはならない」と前向きに諦観するのが得策である。
一方で、「時間のテスト」という方法がある。
すなわち、ある一定期間をかけながら、じっくりと人の真贋を見極める方法だ。
結局、これに勝る評価・判断法はない。
ファーストインプレッション(第一印象)で、どんなに素晴らしい人間、どんなに魅力のある人物だと思っても、いやそうであるほど、過大な評価をしたり信用しすぎたりするのは禁物だと心がけるべきである。
常に「一定かつ適切な距離感を保ちながら接する」のが運を落とさない極意である。
言い換えれば、「適切な距離感を持って人と付き合う巧拙の度合いに、人生の充実度はほぼ比例する」ということだ。
まずは嫉妬の怖さを認識し、極力、他人からの嫉妬を受けないように心がけるべきだ。
人生やビジネスで成功した時に、これ見よがしに自慢する人がいるが、そのような行為は運を落として衰運を招く最大の悪手となる。
世の中には、隙あらば、人の足を引っ張ろうとする手合いがうじゃうじゃいる。
自らの成功を言いふらすと、彼らの敵意をいたずらに高めてしまうことになり、不運を招き呼び込む要素が一挙に倍増してしまうのだ。
とりわけ嫉妬されやすいのは、自分と同じような能力、境遇にもかかわらず、お金や地位を手に入れたケースだ。
改めて嫉妬とは何かを考えると、相手の失敗を望む気持ちを最大限に高めた状態ではないだろうか。
ゲン担ぎのような簡単なことで運がよくなるのなら、誰も苦労はしないだろう。
自分の気持ちを整えることはできるかもしれないが、要はそれだけのことだ。
本当の意味での開運とは何の関係もないと私は思っている。
また、迷信や縁起についても気にしない。
そうしたものに必要以上にこだわって右往左往するのは、逆に運を下げる要因になるのではないか。
科学的な裏付けがないものを断ち切る強さがいい運を呼ぶ、というのが私の体験的持論である。
他社が進出に二の足を踏むようなエリアに低コストで出店し、大繁盛店に成長させるという成功体験を積み上げてきた。
「陰極まれば陽転す」という格言がある。何事も行き過ぎれば逆に転じるという意味であり、つまり、大凶続きは大吉に近づいているとも言えよう。
こうした運の流れに対する感受性を磨いた方が、少なくともゲン担ぎなどよりはるかに有用だ。

第5章 最大のキーワードは「主語の転換」

私も自らの人生、商売、経営の行き詰まりなどを通じて、目から何枚も鱗を落とし、そのつど発想の転換を図って自分を改めた。中でも最大のそれは、「相手の立場になって考え、行動する」ということである。
これが「主語の転換」だ。壁にぶち当たった時、変えねばならないのは立脚点そのものだ。
この立脚点は、主語と言い換えることができるだろう。
要するに、原因を解決しようとする側ではなく、原因になっている側から発想してみる。
自分を主語にするのではなく、相手を主語にして考えてみるということである。
仕事やビジネスでは、常に主語は「自分」ではなく「相手」に置く。
すなわち「主語を転換せよ」というのが、私の中でも最大の開運ロジックである。
圧縮陳列や深夜営業といった戦略について、よく「逆張り経営」で成功したと言われる。
しかし、私はあくまで「順張り」をしてきたつもりだ。自店ではなく、相手の店の側に立って、何をされたら一番困るのか、つまり、「これをされたらかなわんな」といことを、徹底的に考え突き詰めるのである。
こうして主語を転換すれば、対競合店戦略などにおけるアイデアの精度も飛躍的に高まる。
私は「前始末」という言葉を好んで使うが、リスクは前もって取り除いておくほうがいい。
「曖昧さを許容する謙虚さ」の重要性について
「時間のテスト」を例にとって考えてみよう。
要するに時間のテストとは、解という快楽に身を委ねることなく、曖昧さという居心地の悪い状態を耐え忍んで、謙虚な気持ちで時間の経過を待つということだ。
そういう曖昧さの許容は、運を良くするための秘伝のロジックだと私は思っている。

第6章 「集団運」という弾み車

従業員たちは権限を委譲されたことで、自ら考え、判断し、行動しはじめたのである。
彼らは勤勉かつ猛烈な働き者集団と化し、いつの間にか圧縮陳列や独自の仕入れ術を会得していった。
結果として、私が一人で築き上げたスタイルが、従業員たちによって拡大再生産され、ドンキが急速に多店舗化していくことに繋がった。
これは紛れもなく「幸運の最大化」に他ならない。
ビジネスは二者択一ではなく、常に「こちらも立て、あちらも立てる」という「AND」の発想をしないと成功しなし。
例えば、異なる調味料を混ぜると味に深みが増すように、料理の世界では「AND」が当たり前だ。
権限移譲した身内だけの社内においては、人間の原初的な嫉妬や悔しさを否定せず、むしろ積極的に引き出して前向きに張り合わせようとしているのだ。一人一人の社員が商店主となっていて、取り扱う部門もかぶっていないため、他人の足を引っ張っても自分の売上は上がらない。
どうしら商品が売れるかを、自らで考え抜くしかないのだ。逆に権限委譲の範囲が広くて浅いと、商品がバッティングして、互いに足の引っ張り合いになってしまうのだろう。
「個運」を「集団運」に転化させるコツは、「私の成功」ではなく「私たちの成功」を目指すことなのである。

第7章 自燃・自走の「集団運組織」をどう作るか

経営者がやるべき一番大きな仕事は、それぞれの現場で働く人たちをその気にさせ、自然・自走する「集団運組織」をいかに作り上げることができるかだ。
どう「集団運マジック」状態をつくるか。その燃料は何かというと、その都度、議論・検討される創造的プロジェクト、ボトルネックを抜け出し、輝ける未来を予感させるような提案である。
経営者は常にそういうものを提示し続けなければならない。
人格は、強力な「集団運」を引き寄せる最大のキーワードだ。
しかし、会社の経営や店の運営という観点から言えば、真の能力とは「組織を動かす力」だと私は思っている。
「権限委譲」によって、仕事が労働(ワーク)から競争(ゲーム)への変わったののだと言える。つまり、「ミラクルの連鎖」を解き明かすカギは「仕事のゲーム化」であり、そのゲームを皆で「共有する」ことにあると言えよう。

第8章圧勝の美学を語ろう

「圧勝」を定義するなら、潜在的な“勝ち”を見つけて、それをどんどん具現化させ、余地がないくらい勝ちまくるような状態を指す。
圧勝に向けた気迫のようなものが、間違いなく運を引き込む磁石になると、私は自分の体験からも確信している。
「圧勝」を目指すうえで、何よりも大事なことが一つある。
それは、個人の私利私欲を一切混ぜないということだ。大谷翔平選手も羽生結弦選手も、少なくとも金や名声のためにスポーツをやっているわけではないだろう。
彼らにあるのは、純粋でひたむきな「勝ち」への欲望だけである。
「自分が儲けたい」という思いを捨てない限り、未来はないということである。
あれだけ「俺が、俺が」と息巻いていた人間が、「皆さんどうぞ」
と一歩後ろに下がるようになり、完璧な権限委譲をおこなうようになったのだ。
私自身は遅咲きの経営者だ。
人間として、経営者として目に見えて伸びたのは50歳を過ぎてからだ。
要は、自分に囚われなくなってから、急に伸びたのだ。私の心象風景もガラリと変わった。
心は晴れ晴れとして軽くなり、肩の力も抜けて楽になった。

エピローグ

周囲の人々に興味をもって理解し、優しさと共感を見せることが、良運を招く最も効果的な方法なのだ。

 

今月はこの本を選んだのは、中尾塾の課題本として、「進撃のドンキ」を読んだからです。
正直、私自身が、お客として、興味を持っていなかったドン・キホーテさん。
実際は、小売り業として、凄いと知った以上は、他の本も読みたいと思って読んだ本です。
進撃のドンキも面白かったですが、この「運」というテーマを取り扱えるのは、一定以上の経験と業績を残した人でないと受け入れられないテーマだと思います。
安田さんが考える「運」とても参考になりました。
経営者だけでなく、多くの方々に読んで欲しいと思います。
お勧め度:☆☆☆☆☆ 星5つ
(桐元 久佳)

運 ドン・キホーテ創業者「最強の遺言」 安田 隆夫 著