代表税理士桐元久佳のプロフィール〜ウラ桐ページ〜

代表税理士桐元久佳のプロフィール

〜ウラ桐ページです〜
ポータル税理士はこうして生まれたのだった

それは、裁判所を通り過ぎた時だった。「なんでこの辺は、ベンツ・セルシオがたくさん走り回っているの?」
そんなたわいもない疑問・不満が私の中から出てきた。当時の私は、一浪して入学した甲南大学を退学し、学習教材の訪問販売の仕事をやっていた。完全歩合制の仕事というきつさ。
お客さまがお客さまを紹介してくれない特殊な仕事。
(成績があがったのは教材ではなく生徒自身の努力だから)「弁護士や司法書士さんのようにお客さまに感謝され、しかも高収入の仕事があるなんて。。。」
うらやましい限りでした。いっちょ俺も資格をとるために勉強しなおそう!そう思い立ち、早速私は、大学へ復学の手続きを済ませた。代表税理士桐元久佳のプロフィール〜ウラ桐ページ〜
しかし、卒業までに142単位必要なのに、復学した時点(5回生)で、まだ100単位は必要。とにかく、月曜日から土曜日まで全授業(夏季集中講座もね)を履修登録し、勉強しなおすことになった。とはいっても法律用語がチンプンカンプン!
授業の半分も理解できない!
ヤバイ。。。このままでは1年で卒業できないかも。。。焦った。
さらにアルバイト漬けの生活だったため、朝が起きられない。5回生になってもアルバイトしながらの通学だったため、すべての授業に出席できない。早く友達を作ってノートを写させて貰わねば~
と思いつつも誰に声をかければいいのやら?
長い長いアルバイト漬けの生活が原因でまったく分からなかった。代表税理士桐元久佳のプロフィール〜ウラ桐ページ〜ところが、6月も下旬になった頃、土曜日の授業(英語)の休憩中、タバコを吸っていると、
テストやノートのことが話題になっていた。というのもこの土曜日の英語のクラスは、甲南大学法学部の留年生(5回生~8回生のツワモノぞろい)しか受講者がいないという不思議なクラスだったのだ。

とにかく理由はそれぞれ異なるが、4年で単位を取る気がない(取れなかった)ツワモノぞろい。

早速彼ら(彼女も一名)の輪に加わると・・・

体育会系の頼もしい友人と仲良くなれた。
それは、後輩がたくさん知り合いにいる柔道部のG君、井上3兄弟と試合し、勝ったこともある肉体的にもノートの収集能力でも頼もしい人でした。

そして、留年生の集団に集まるキッカケと集合場所を提供してくれたS君。

この二人を中心にした留年生集団は、さっそくテスト対策のためにノート・資料の収集へと走り出した。

留年生集団と仲良くなれたおかげで私は、前期試験のほとんどをパスすることができた(成績は優ばかりではなく、可もたくさん)。

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さらに、夏期集中講座では、某損保会社の顧問もされていた他大学の教授に交通論とリスクマネジメントについて有意義な講義を受けられた。

この先生は、関東在住の方だったので神戸は1週間ほどホテル住まいのため、毎日のように晩御飯をご一緒させて頂き、ビジネスの生の世界(私がやっていた訪問販売・人材派遣とは大違い!)の話を聞かせて頂いた。

大学に復学し、単位も前期は順調に取れたものの、卒業後にどのような資格をとって社会貢献しつつもお金を稼ぐのか、具体的なイメージがないまま過した半年間であった。

後期になると、留年生軍団の結束力は高まり、毎週土曜日は昼間から飲んで日曜日まで遊び倒すという学生らしい生活を満喫することができた。

さらに3回生の時は、ゼミ生活を満喫できなかったので、単位は関係ないのだが、労働法の名物教授のゼミに潜りこませて頂く余裕も生まれてきた。

後期だけの付き合いのつもりが、このN教授には今でも良くして頂いております。
その話は今度書かせて頂きますね。

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友人たちが、就職先を決めていく中で私は就職活動もせず単位取得にしゃかりきになっていたこと、さらに資格をとるため大学に復学したこともあったので、もう2年ほど勉強するために大学院に進学することに決めたのでした。

早速、大学院の受験要綱を集めると、甲南大学の入試は9月に開催済みだった。

さらに英語が試験科目にあったので、後期日程(3月)もあきらめ、翌年の9月入試に向けて勉強することにしました。

といっても親が進学を認めてくれるのか?
資格といっても何を目標にしているのか不明な息子をこのまま家庭に置いてくれるのか。

不安だったが、親に相談(というより報告?)すると子どもに甘い我が両親は、快く受け入れてくれたのだった。

その時、決意したことは、両親にはこのお返しはできないが、自分の子どもには、両親にやってもらえたことを返そう!ということだ。

復学した時には100単位以上残っていたのですが、留年生友達のおかげで何とか1年で卒業することができました。

人間やれば何とかなるんですね~
そんなことを実感できた瞬間でした。

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無事に卒業できたものの大学院進学のための予備校も無く、ゼミの先生は他大学へ転勤。

しかも政治学の教授だったために、法律論文の指導を受けることができない。

途方にくれている私に手を差し伸べてくださったのが、労働法のN教授でした。

それから、卒業後も毎週ゼミに出席し、ゼミ終了後には論文指導を受けるという生活が始まった。

商法・民法・労働法と英語漬けの毎日。
英語も法律論文が出題されるため、専門用語を覚えるために大学受験以来、久しぶりに暗記カードを活用する毎日でした。

そんな時に、姫路(兵庫県)で小さな印刷工場を営んでいた私の母方のお祖父さんが亡くなった。
大好きなお祖父さんだっただけに、とても辛く・哀しかった。

「人間の死」というものを身近に感じた私は、この世に生まれてきた意義・使命というものを考えるきっかけになりました。

さらに事業というものがこんなにあっけなく止まってしまうものかと考えさせられた。

日本の経済は、中小企業が支えているとはいえ、こんなに脆すぎるのでは、支えきれないのでは?
という疑問と何とかしなければという使命に燃え私は、中小企業を支える仕事・資格は何かと考えた。

そこで行き着いた結論が、「税理士」だった。

収入も他の士業と異なり、顧問料が基本であることから、事務所経営上も安定しやすいのも決断した要因の一つですが。

起業してお金儲けしたいことから大学に復学した私です。

やっぱりお金儲けしたいという素直な誘惑に引っ張られました。

大学院受験は、苦労の甲斐があって、何とか関西学院大学に進学決定。(大学受験ではことごとくふられましたが)

しかし、縁もゆかりも無く、指導教授のことも何も知らなかったので、不安な入学式。

と思っていたら、別の大学院試験で会話した人がいたんです。
しかも同じ指導教授を選んでいるではないですか。

Hさんとの再会により、気楽に大学院生活をスタートすることに成功した私。

Hさんは、会計士試験を勉強中だったため(今は会計士として活躍中)、受験勉強のことで悩んだり、行き詰ったらよく相談に乗っていただいた。

商法のKゼミ生は、Hさん、私含め5名もいたため、法学部の大学院でも一大勢力となり(というかHさん、私、Tさんという声のでかいオッサン3名が居たから?)有意義な大学院生活を謳歌することができた。

大学院生時代は、学生として、受験生として、塾講師として日々忙しく過すことができた。

今となっては、塾講師をしていて良かった。

なぜなら、仕事柄多くの説明が必要となるが、小中学生相手に勉強を教えるためには、噛み砕いて説明しなければならないからです(よく怒ってもいましたが)。

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現在、セミナー講師を緊張することなく、やれているのも塾講師の経験が大いに役立っています。
人生何事も活かせない経験は無いんですね。