1.歯科クリニックにおける労務リスクの傾向
1.労務問題が発生する背景
歯科クリニックの経営は人で成り立っています。
専門教育を受けた職員が院長をサポートし多大な貢献をしている一方で、一部の職員が院内トラブルを引き起こし、経営の阻害要因となっているケースも少なくありません。
この背景には、養成課程の修業年限が3年制に変わり多くの養成学校で定員割れが起きているために、歯科衛生士不足が発生していること、売り手市場の中で職員を確保するために、採用のハードルを下げてしまう等、採用に苦労しているという実態があります。
発生する可能性のある労務問題を未然に防ぐために、院長自らが労働法と就業規則に対する十分な知識と正しい理解を持ち、的確な判断を下していかなければなりません。
2.トラブル発生要因
多くの歯科クリニックでは、勤務する職員に対し誠意を持って対応されていますので、トラブルはめったに発生しませんが、雇用条件や管理体制に問題がある場合は労務トラブルが潜在化する要因となります。
3.問題職員の事例と対策
厳格な面接を行なっても、問題職員を採用してしまうケースがあります。
それらの対応について下記に整理します。
特に「いじめ」は実態を把握しにくい上、いじめている本人に自覚がない為、「しつけ」「指導」と「いじめ」「嫌がらせ」の境界が問題になります。
院長が具体的にどんなことがあったかを把握し、判断することが重要です。
また、いじめに関して就業規則に明記することが防止策となります。
明記していれば服務規律違反として注意や戒告などの処分が可能になります。
注意しても繰り返すようであれば解雇もやむを得ません。
4.問題職員を生まない3原則
トラブルを引き起こす職員を発生させないために、下記の3原則を遵守し対応することがポイントとなります。
(1)入れない
まず、問題を起こしそうな人材を採用しないことから始まります。採用段階から良い人材を選抜し、試用期間を設定して雇用します。
(2)生まない
問題を生まないために、少なくとも労働基準法や社会保険法の規定を満たしておく必要があります。
また、スタッフミーティングや朝礼など、情報伝達の場を確保しましょう。
これはチーム医療の前提として、院長の診療理念等の浸透にも有効です。
また、院長自身が院内規程を遵守し、手本となりましょう。職員の失敗に対しても、怒らず、叱りましょう。
問題解決を図ることと、責任追及とは異なるものです。
二度と起こ さない問題解決型の改善策を構築するようにします。
(3)放置しない
就業規則を整備し、人事評価と戒告処分の関係を整理しておくことが必要です。
2.労務リスクと原因別対策
1.歯科クリニックに存在する労務リスク
歯科クリニックにおける労務リスクは、その原因別に8つに分類されます。
これらのリスクにより、未払残業代の支払や業務の効率低下、さらに社会的なイメージ低下などの損失が発生する可能性があります。
金銭支払などの直接の経済的損害ばかりではなく、その損失の大きさを予測することが不可能であるイメージ低下、あるいは風評等による社会的損害は、地域から得てきた信頼を失うばかりでなく、患者数の減少など、長期間にわたって将来の歯科クリニック経営を圧迫する要因にもなりかねません。
2.主要な労務リスクと対応編
現在の労務管理の3大テーマとしては、「労働時間管理」「退職・解雇管理」「セクハラ問 題」が挙げられます。
前述した8つの労務リスクのうち、(1)・(2)が労働時間管理に、(4)・(5)が退職管理、さらに(8)がセクハラ問題に関連しますが、その損失の大きさが予測不能であるため、防止するための対応策が一層の重要性を増すことになります。
(1)労働時間管理をめぐるリスクと対応策
就業規則と36協定の整備は、人事労務と勤怠管理の基本であり、出発点だといえます。
(2)退職・解雇をめぐるリスク
再三の無断欠勤を繰り返す職員や、短期間で退職してしまう職員を採用してしまうケースは、少なからず発生します。
これによって、業務の非効率化を招いたり、他の職員のモチベーション低下など、マイナスの影響を及ぼします。
職務上受けるストレスは、適度なものであればフラストレーション打開のための活力につながりますが、過度のストレスは精神科疾病やバーンアウトといった非生産的行動に影響を与えます。
過剰なストレスを負わせないようにするとともに、大きな負荷を感じている職員に早期に対応することが、メンタルヘルス改善のための重要なポイントです。
(3)組織内モラルをめぐるリスク
セクシャル・ハラスメント(以下、セクハラ)については、男女雇用機会均等法等で事業者側に対応が義務付けられ、これに基づき就業規則上の懲戒事由に明示する歯科クリニックも増えています。
また、パワー・ハラスメント(以下、パワハラ)に関しては、業務上の命令・指導との境界線が難しいですが、業務上必要な命令や指導の範囲を超えた「嫌がらせ」の行為である場合にパワハラに該当します。
セクハラ・パワハラに対応する改定を行っていない歯科クリニックは、直ちに就業規則の見直しが求められます。
歯科医院では、地域でセグメントした「差別化焦点戦略」が基本です。
差別化には次の項目があります。
3.労務トラブルを回避するための就業規則整備
1.就業規則の重要性
近年、雇用形態の多様化により処遇の問題が表面化したトラブル、また解雇や時間外手当不払い等に関する労使紛争が増加傾向にあります。
これは、総合労働相談コーナー(個別労働紛争解決制度【平成20年4月1日~平成21年3月31日】の運用状況)に寄せられた相談件数が1,075,021件(前年比7.8%増)、民事上の個別労働紛争に係る相談件数が236,993件(19.8%増)となっていることからも明らかです。
さらにここ数年、労働基準法等の改正が頻繁に行われたことも反映して、職場の規律、服務規律、賃金等の処遇を定めた事業所の規範である就業規則の見直しの必要性が高まっています。
労働基準法第89条は、常時10人以上の労働者を使用する使用者の就業規則作成(変更を含む)・届出義務及び記載事項について規定していますが、この時代にあっては、事業所の業種や規模、業態によって異なる労働条件や経営方針を明確にする就業規則・諸規定が、法律にかかわらず必要不可欠のものとなっています。
2.就業規則の意義と効果
就業規則に求められる意義や効果は、一定の秩序の下、職員を有機的、組織的に就業させることです。
労使間の雇用環境の変化や就業形態の多様化により、労使間の労働条件をめぐるトラブルはますます増加している中で、就業規則を策定し、正しく運用することにより、例えば、次のような意義と効果が期待できます。
機能別戦略のそれぞれの項目ごとに、実施 事項と期限、責任者などを具体的に設定した実行計画を策定します。
下図のようなイメー ジになります。
3.就業規則作成のポイント
(1)就業規則の正しい手続
就業規則作成・変更時に届出を行う際は、職員の意見聴取が必要です。具体的に言うと職員の過半数で組織されている労働組合がある場合にはその労働組合、また存在しない場合には職員の過半数を代表する者の意見を聴き、意見を記した「意見書」を、就業規則の届出の際に添付しなければなりません。
この際、聴取した意見が反対意見であっても、職員の同意までは求められません。
(2)法令順守
就業規則はあくまでも法令や労働協約に則ったものでなくてはなりません。
法令を無視した就業規則は、その部分は無効となりますし、トラブルの元となってしまいます。
当然、労働基準監督署への届出の際に指摘を受けます。
今やコンプライアンスは事業所運営にとって不可欠なものです。
(3)職員への周知義務
就業規則を作成しても、それを院長が大事に金庫に保管して職員がその内容を知ることができないのでは何の意味もありません。
就業規則が職員に全く周知されていない場合に、その効力を否定した判例は、過去に多数あります。
(4)適切な運用方法
作成された就業規則を適正に運用すること、運用できることが大切です。
問題が起きる例として、就業規則があるにもかかわらず、ケースバイケースの対応をすること、就業規則の各規程の文言や表現が非常に難しく理解しづらいことなどがあげられます。
また、幾通りにも解釈ができる表現があり、問題が起こった際に対応が難しくなったり、職員に誤解を与えて逆に問題が増えたりすることもあります。
そういう意味では就業規則は、きちんと運用できて初めて存在意義があると言えます。
そのためには労使双方が就業規則の趣旨・目的を十分理解しておく必要があります。
4.服務規律規定
就業規則の中に服務規律規定を明確にしておくことが重要です。
(1)服務規律の重要性
服務規律とは、職員が遵守すべき事項を定めたものです。例えば、酒気を帯びて就業しないという極めて当たり前のことから、セクシュアルハラスメントに関する内容、営業秘密(トレードシークレット)や個人情報の漏洩の禁止についても記載しています。
就業規則に服務規律を詳細に記載し、職員がこれを遵守することは、以下の通り様々な効果があります。
服務規律の重要性は以上の通りです。
また、服務規律の違反は、就業規則違反ですので、懲戒処分につながります。
言い換えれば、服務規律に記載していないことを懲戒処分の対象とすることは難しい面が生じますので、服務規律を充実させておくことが大切です。
4.労働基準監督署の臨険対策ポイント
1.労働基準監督署による臨検監督(臨検)とは
歯科クリニックも労働者を抱える事業主として、労働基準監督署による調査対象になります。
労働基準監督署の臨検とは、その事業所が労働基準法その他関連法令を遵守して事業を運営していることを確認するための労働基準監督官による立入り調査を指しています。
ほとんどの事業所は、5年から10年の間に1回程度、就業規則の有無や割増賃金の計算方法等についてチェックを受けることになります。
2.定期監督と申告監督
(1)定期監督 : 定期的・計画的に実施される労働基準監督署主導の調査
定期監督は、厚生労働省が定める行政方針に基づき決定された重点指導項目や業種に従って実施されるものであり、多くの中小企業では程度の差はあっても労働基準法違反が常態化しているため、この違反を是正することが目的の中心です。
(2)申告監督 : 労働者からの申告(内部告発)に基づいて実施される調査
申告監督による調査は、何らかの労務トラブルを抱えた労働者やその関係者が労働基準監督署に相談し、監督官が各種資料をもとに違法性が高いと判断した場合に行われることから、厳しいものになります。
申告監督の場合、労働基準監督署は申告事案だけでなく、あらゆる事項、つまりその他の法令違反の可能性を調査することとなっています。
労働時間管理の甘さから、「申告」から「臨検」になるケースが多いうえに、臨検が行われた場合には、医療機関全体の労働関連法令の遵守状況を全て調査されることとなるのですから、労働時間管理の体制を整えることが急務といえます。
3.歯科医院が指導を受けやすいポイント
労働基準監督署による監査の主眼は、事業所の法令違反を指摘することではありません。
労使トラブルや労災事故の防止を図ることを目的としているのですから、法令違反が常態化しているのでなければ、大きな問題に発展することは少ないといえるでしょう。
しかし、臨検で法令違反が発見されなかった場合でも、改善が望ましい事項を記載した「指導票」が出されることになります。
これらの指導事項を改善することによって、想定される労務トラブルを回避することができるため、自院の労務管理にとって有益な指摘であるととらえ、早めに改善に取り組むことが必要です。
医業コンサルティングセミナー
「歯科クリニックの労務管理(人事制度)による環境改善と就業規則」
<講師 株式会社M&D医業経営研究所 代表取締役 木村泰久>より 一部抜粋・編集