雇用・労務トラブルを防止 労基法の正しい理解と規程整備

1.歯科医院で発生する労務トラブル

1.医療機関における職員の労働災害の傾向

厚生労働省の平成24年就業者数調査では、全国の歯科衛生士数は98,116人、歯科診療所は68,474件ですので、1施設当たりの平均歯科衛生士数は、1.43人となります。
ここから推測しますと、一歯科診療所当たりの平均スタッフ数は5人未満。
実際には、2~3人ほどの歯科衛生士や歯科助手を雇用している診療所が大多数ではないかと思います。
このような少人数の職場においては、人間関係の些細なすれ違いや労働条件提示におけ る行き違いが、雇用問題や労務管理の大きなトラブルとして顕在化してくる危険性を秘めています。
歯科医院といえども、労働基準監督署からの「臨検」を受ける可能性も十分にあり得ま す。
そのよう危険性から診療所を守るための就業規則の作成や、しっかりした労務管理が日常的に必要になってきます。

雇用・労務トラブル例

2.労働時間管理の正しい理解

(1)超過勤務の誤解によるトラブルの防止

労働基準法解釈の誤りにより、超過勤務やそれによる残業代の未払いが発生し、労務ト ラブルになるケースがあります。
労働時間に関する取り扱いを理解しましょう。

労働時間か否か判断に迷いやすい事項

(2)変形労働時間制の採用

通常、労働時間は、労働基準法で1日8時間、週40時間と定められています。
ただし、常時使用する職員が10名未満の歯科医院は、週44時間までとなっています。
変形労働時間制とは、一定期間の平均を基準にして週40(44)時間以内が順守されればよいというものです。
この変動労働時間制を採用すれば、週40(44)時間内であれば1 日8時間を超える勤務体制も可能になります。

変形労働時間制を導入する場合の就業規則(職員10人未満)の例

(3)36協定の締結

36 協定とは、労働基準法第36条に規定されている、「時間外労働及び休日労働に関する協定書」のことを言います。
本来、週40(44)時間、一日8時間を超過する労働時間は労働基準法で禁止されていますが、労働者と使用者が協定を締結した場合に、いわゆる残業を命じることができます。
歯科医院の中には、36協定を締結し、労働基準書に提出していないにもかかわらず、残業を命じているケースもありますので、下記要件を明確にして、36協定の協定書を提出することをお勧めします。

協定書で明確化にすべき項目

3.職員採用前に整備すべき項目

(1)雇用条件の整備

受付・会計、医療事務、歯科助手等の業務を兼任している歯科医院では、全勤務条件を 提示せず、「聞いてない」「違う仕事をさせられた」「話しが違う」等の労務トラブルが発生する可能性があります。
募集や面接時に提示された条件と実際に勤務してからの条件が違い、問題になるケースです。
このようなケースに備えて、スタッフ募集前に提示する雇用条件を整理することが重要 です。

雇用条件提示前に整備すべき項目

(2)健康診断の受診義務

歯科医院がスタッフを雇入れる際には、医師による健康診断を受診させなければなりま せん。
但し、雇入れる者が3か月以内に医師による健康診断を受けており、その旨を書面で提出した際には、雇入れる者が受診した項目についての健康診断を省略することが出来 ます。

健康診断の受診義務・1次健康診断の診断項目
定期検診において、血糖等、厚生労働省で定める検査のすべてに異常がみられる場合に は、労働者の請求により2次健康診断を受けることができます。(2次健康診断等給付)

■2次健康診断等給付を受ける要件

2次健康診断等給付は、1次健康診断の結果において、次のすべての検査について異常 の所見があると診断された場合に受けることができます。

2次健康診断等給付を受ける要件
2次健康診断を受けようとする労働者は、1次健康診断を受けた日から3か月以内に、 2次健康診断等給付請求書に1次健康診断の結果の写しなどを添えて、健診給付病院を経由して所轄の都道府県労働局長に提出します。
医院は、労働者が2次健康診断を受けた日から3か月以内に、健康診断の結果を示す書面を受け取った場合は、医師等の意見を聴取して労働者の就業上の措置を講じなければなりません。

(3)退職金の規程整備

給与については、細かく決定されると思いますが、意外と見落としがちなのが退職金で す。退職金は、職員全員に出さなければならないものではありませんが、支給対象者を明確に定めていない場合は、正職員、パート、アルバイト関係なく支給しなければなりません。
明確に定めていないにも関わらず、パート職員からの退職金支給要求を拒否し、この職 員が労働基準監督署に相談した場合、院長に出頭命令が下される可能性があります。
退職金の規程を作成し、支給基準や支給額などをきちんと規定する事が重要です。

2.職員採用時の留意点と整備項目

1.内定取り消し時の留意点

職員募集を行い、内定を出した職員に、内定取り消しを行う場合、慎重な対応が求めら れます。
入職日前だから内定取り消しを行ってもよいと考えがちですが、内定を出した日に労働契約が成立したとみなされます。
この場合は、内定取り消しではなく解雇と同じ取り扱いとなります。
よって、労働契約法に基づき「客観的に合理的な理由か社会通念上相当である」と認められない場合は、解雇無効となります。
合理的な理由とは、下記のケースが該当します。これらのケースに該当しない場合は注 意が必要です。

内定取り消しが認められるケース
特に新卒者の内定取り消しについては、「職業安定法施行規則」によって、悪質なケースは事業者名を公表することとなっています。
公表される条件は下記の厚生労働省が定めるケースに該当した場合です。

内定取り消しを行った事業者名の公表 ~厚生労働大臣が定める場合

2.スタッフ採用時の提出書類

スタッフ採用後の労務トラブルを防止するために、取り揃えておくべき書類等がありま す。
チェックリストを作成し、漏れのないように注意します。
スタッフに提出を求める書類は下記のとおりです。

採用時に提出を求める書類のチェックリスト例
上記提出書類の中で、特に注意すべき項目は、住民票、有資格者証、マイカー通勤者に 関するものです。
以下に留意点を整理しました。

採用時に提出を求める書類に関する3つのポイント

3.身元保証書と誓約書

(1)身元保証書

一般的に、身元保証書の内容は、職員の不始末により、医院が損害を被ったときに、身 元保証人に連帯して損害を賠償してもらう、というものが大半です。
実際には、損害賠償責任を負うケースは、ほとんどありませんので、損害賠償というよ りは、スタッフの不正行為に対する抑止効果と、人物保証をしていただくことに意味があります。

身元保証書に関する3つのポイント

(2)誓約書

誓約書も整備すべき重要な書類です。
契約書・覚書・念書とは違い、特に正式な書き方 が決まっているわけではありません。
必要なポイントがおさえられていれば問題ありません。

誓約書の必要記載内容・身元保証書・誓約書の様式見本

3.ルールブック作成で院内規律を明確化

1.院内規律を高めるために必要な視点

職員数が多いとはいえない診療所では、一定の業務を一人の職員が長期間担当すること も珍しくなく、それによって労務トラブルが表面化するケースが増えており、さらには、その原因が多岐にわたるため、複合化・複雑化している現状があります。
また、歯科医院は、一般企業に比べて女性職員の比率が高いという特性があります。
加えて国家資格の有資格者割合も高いことから、専門職間におけるセクショナリズムや個人主義偏重傾向、また能力や経験年数による上下関係などの組織構造的な問題を抱えていることも事実です。
労務トラブルによって組織の活動が停滞してしまう事態は、回避しなければなりません。
よって、潜在する労務管理上の課題に対しては、表面化する前に防ぐことが重要になります。

2.職場ルールブックの意義と作成上の留意点

(1)職場ルールブック作成の意義

職場ルールブックを作成することは、職場規律を守るために非常に有効です。
職場ルールブックは、一般には就業規則上の服務心得を中心として職員が守るべき事項等をわかりやすい言葉で表現したものです。
したがって、表現の違いこそあれ、就業規則と職場のルールブックとは整合性が取れており、お互いを補完する関係でなければなりません。

(2)作成時の留意事項

職場のルールブック作成時には、以下のような点に配慮するようにします。
また、一般的な基準からかけ離れた条件の設定も問題となります。
地域や同規模の医療機関における労働条件を踏まえ、さらに裁判例などを参考としたうえで、ルールの設定をしなければいけません。

職場ルールブックの作成に際しての留意点

(1)職場ルールブック作成事例

職場のルールブックは、目的に応じていくつかのタイプに分けられます。

(1) 基本ルール周知徹底型

始業時刻や終業時刻とはどのような状態にある時刻を指しているのか、また年次有給休 暇の取得や関連手続など、就業における基本ルールを示して周知徹底を図ります。

勤務時間等

(2) 禁止行為型

飲酒運転厳禁事例のほか、個人情報や機密情報の流出を防ぐこと、暴力行為や業務上の 不正処理など法令に違反する行為の禁止、また医療機関の信頼を落とすような行為は厳重に禁止することなどを示し、周知徹底を図ります。

禁止事項

(3) 接遇型

医療機関としての接遇の基本的なあり方を示し、接遇の改善とレベルの向上を図ります。

(2)職場ルールブックの活用事例

職場ルールブックを作成する際には、次のような視点を参考にしながら優先順位をつけ、徹底したい職場のルールを選択します。
ルールブックを作成し、職員に期待する言動や基準を明示することは重要ですが、それを配付するだけでは規律の改善にはつながりません。
最も重要なのは、実際に職場で活用していくことです。

(1) 現場における指導教育の基準として

管理職の中には、部下の問題行動について十分に注意指導できない者もいます。
部下のポジションで勤務していた期間に注意指導を受けた経験がなかったりすると、注意指導の方法や、自分の判断基準に迷う場合もあります。
もし、職員から反論があった場合でも、ルールブックがあれば、具体的に明示された職場の基準に従った対応をすればよいので、管理職もきちんと部下に注意指導ができるようになります。

(2) 入職時の教育での活用

新入職員に対するオリエンテーションや新入職員研修で院内ルールを説明する場合にも、わかりやすく具体的に記載されているため、新入職員教育ツールとして有効です。

(3) 朝礼の時に読み上げて説明

朝礼等の場を利用して、ルールブックの内容を読み上げ確認します。
マンネリ化を防ぐために、すべての項目ではなく数項目ずつ取り上げ、いろいろな角度から説明するとよいでしょう。
また、その項目について実際にあった事例の簡単なディスカッションを行うとさらに効果的です。

(4) 人事考課面談時のチェック項目として

ルールブックの項目を人事評価基準のひとつとして活用することを予め職員に説明して おき、評価項目として活用します。
特に評価面接を実施する際には、日頃の行動のチェックリストとして使用し、承認や具体的な指導に結び付けることができます。

(5) 採用面接での資料として

採用面接の実施前にルールブックに目を通してもらい、面接で感想を尋ね、反応を見た りすることで、人物評価にも役立てられます。
また、ルールブックにより職場規律として医療機関が求めている内容や職員の姿を伝えることができるため、入職後のミスマッチやトラブルを抑制することができます。

(3)職場ルールブックの院内周知と定期的見直し

職場ルールブックをうまく活用していくためには、管理職と職員双方への周知が不可欠 です。
周知の際には、次のような方法が有効です。

職場ルールブックの院内周知と定期的見直し
また、定期的にチェックを行い、課題の抽出と対応を行います。
内容のマンネリ化を防ぐためには、1~2年ごとに内容を見直し、改定するようにするとよいでしょう。
設けられた職場ルールが十分守られていれば、より規律内容のレベルアップを図り、一 方、守られていないルールは表現方法を変えるなどして、改めて徹底を図るように工夫してください。

■参考文献
『40のしまった事例に学ぶ 診療所開業ガイドブック』日経ヘルスケア 編 日経PB社 刊

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