第1夜 トラウマを否定せよ
われわれはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている。
それが、目的論です。
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック-いわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。
ギリシア語の「善」(agathon)には、道徳的な意味合いはありません。
「ためになる」という意味です。
一方、「悪」(kakon)には、「ためにならない」という意味です。
この世界には、不正や犯罪などさまざまな悪行がはびこっています。
しかし、純粋な意味での「悪」を欲する者など、ひとりもいない。
アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明する。
人生における、思考や行動の傾向です。
あなたは、あなたのライフスタイルを、自ら選んだのです。
10歳前後に、自分のライフスタイルを選んでいる。
自分で選んだものであるから、再び自分で選びなおすことも可能である。
人が変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからです。
人は、いろいろと不満はあっても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。
アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。
第2夜 すべての悩みは対人関係
自分の短所ばかりが目についてしまうのは、自分を好きにならないでおこうと決心しているから、自分を好きにならないという目的を達成するために、長所を見ないで短所だけに注目している。
自分を好きにならないことが、自分にとっての「善;ためになる」からです。
「いまの自分」を受け入れてもらい、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持つこと、このようなアプローチを「勇気づけ」と呼ぶ。
孤独を感じるのにも、他者を必要とする。
人は、社会的な文脈においてのみ、「個人」になる。
アドラー心理学では、人間の悩みは、すべて対人関係の悩みであると断言している。
自分を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」である。
主観であるから、自分で選択可能である。
人は無力な存在としてこの世に生を受けます。
その無力な状態から脱したいと願う普遍的な欲求のことを、「優越性の追求」と呼ぶ。
優越性の追求も劣等感も病気でなく、健康で正常な努力と成長への刺激である。
劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となる。
料理人の方々の場合「まだまだ未熟だ」「もっと料理を極めなければ」と劣等感を抱いて、先に進もうとするように。
誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。人は誰しも違っている。だから我々は、「同じでないけれど対等」なのです。
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある。
対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。
人々はわたしの仲間なのだと実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。
行動面の目標
(1) 自立すること
(2) 社会と調和して暮らせること
行動を支える心理面の目標
(1) わたしには能力があるという意識
(2) 人々はわたしの仲間であるという意識
ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係、それが人生のタスクです。
アドラーは対人関係を (1)仕事のタスク、(2)交友のタスク、(3)愛のタスクの3つに分けている。
われわれは自分のライフスタイルを自分で選んでいるから、責任を誰かに転嫁できない。
第3夜 他者の課題を切り捨てる
われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない。
他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。
「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと-あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること-によって引き起こされる。
誰の課題かを見分けるシンプルな方法は、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰かを考える。
他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。
他者の評価をきにかけず、他者から嫌われることを怖れず承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない、つまり自由になれない。
対人関係というと、どうしても「ふたりの関係」や「大勢との関係」をイメージしてしまいますが、まずは自分なのです。
わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。
第4夜 世界の中心はどこにあるか
われわれはみな「ここにいてもいいんだ」という所属感を求めている。
所属感は、ただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られる。
つまり、人生のタスクに立ち向かうことで得られるもので、自らの手で獲得していくものなのです。
われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則。
目の前の小さな共同体に固執して、関係が壊れることだけを怖れていきるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。
ほめるという行為には、能力のある人が能力のない人に下す評価という側面が含まれています。
「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱している。
劣等感は、縦の関係から生じてくる意識です。
人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。
他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えて、自らの価値を実感することができる。
第5夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになるために必要なことは、「自己受容」、「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つです。
「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、「変えられるもの」に注目していくことを自己受容という。対人関係の基礎を「信用」でなく「信頼」によって成立している。
他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけない、無条件に信じる、それが信頼です。
裏切る・裏切らないは、他者の課題であり、信頼することを怖れていたら、結局は誰とも深い関係を築くことができない。
「他者信頼」によって深い関係に踏み込む勇気を持ちえてこそ、対人関係の喜びもます、人生の喜びも増えていく。
他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものである。
なお、他者貢献は、目に見える貢献でなくてもかまわない。
貢献感を持てればそれでいい。
人生とは、連続する刹那である。
われわれは、「いま、ここ」にしか生きることができない。
最近、流行っているアドラー心理学の入門書です。
哲人と青年の対話篇という物語形式によって、アドラー心理学の思想を解き明かしていくのが、わかりやすくて評判となっています。
著者の岸見一郎氏は、哲学(特にプラトン哲学)と並行して、アドラー心理学を研究しているので、プラトンの対話篇を意識された構成になっております。
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