1.増加続ける精神障害の労災認定
本年6月21日、厚生労働省より平成24年度の精神障害の労災補償状況が発表されました。
精神障害の労災認定の増加は、近年の社会問題になっています。
本章では、労災認定の現状を把握したうえで、具体的な精神障害の基準について解説します。
1.増加する精神障害の労災認定
厚生労働省の発表によると、精神障害の労災補償状況は、平成9年には41件だった労災請求件数が平成24年には1,257件に増加しています。
これに伴い、労災認定件数も平成9年にはわずか2件でしたが、平成24年には475件と大幅な増加を示しています。
請求件数と認定件数の増加割合を見ると、精神障害が労災として認定されることについて、社会的な注目を集めている現状が理解できます。
精神障害の労災請求が多い業種この表からは、精神障害による労災請求はどの業種でも行われていること、特に医療業、福祉、サービス業では多くの請求が行われているということがわかります。
つまり、従業員のメンタルヘルスは大きな社会問題であるとともに、企業としても対策 が迫られている問題でもあるのです。
2.労災認定基準の変遷
労働災害が業務災害として認定されるためには、業務に内在する危険有害性が現実化したと認められること(業務起因性)が必要です。
この業務起因性については、厚生労働省から平成11年に「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」が発表され、同23年に「心理的負荷による精神障害の認定基準」(以下「認定基準」)が発表されました。
労災認定基準は、次のように変遷を重ねています。
(1)平成11年以前の精神障害の労災認定
平成11年以前は、精神障害の労災認定は業務上外の判断が困難であることを理由に、請求のあった労働基準監督署を管轄する各都道府県労働局が本省に協議する形で個別処理が行われていました。
また認定基準については、「自殺が業務上の負傷又は疾病に発した精神異常のためかつ心身喪失の状態において行われ、しかもその状態が当該負傷又は疾病に原因しているときのみを業務上の死亡」とする通達が発せられていたため、精神障害による労災請求は非常に限定的なものでした。
(2)平成11年判断指針による精神障害の労災認定
個別処理により判断していた精神障害の労災認定は、平成8年の電通事件における自殺と業務の因果関係を認める判決を機に社会的関心が高まり、労災請求件数が急増しました。
こうした労災請求の増加に対応するために作成されたのが、平成11年9月14日付基発第544号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(以下「判断指針」)です。
判断指針では、(1)業務による心理的負荷、(2)業務以外の心理的負荷、(3)個体側要因、の各事項について具体的に検討し、業務による心理的負荷の強度を客観的に評価して精神障害の業務上外の判断を行うことになりました。
これにより、平成10年に42件だ った請求件数は、同21年に1,136件に増加しています。
(3)平成23年認定基準による精神障害の労災認定
平成11年判断指針の作成以降は、個体側の要因を具体的に検討し業務上外の判断を行っていましたが、労災請求件数の増加とそれに伴う心理の長期化が問題となりました。
これらの問題を解消するため、平成23年認定基準が策定されることになりました。
3.精神障害と認定される主な病名
従業員の健康状態を確認するうえで、精神障害に関係する病名やその症状などを知っておくことは非常に重要です。
精神障害と認定される病名にはいくつかありますが、主な病名やその症状について紹介します。
2.精神障害における労災認定の判断基準
平成23年認定基準の特徴としては、精神障害の判断の基準が具体化・明確化され、個別の事案の審査・決定のプロセスが簡略化されたことが挙げられます。
ここでは、具体的な労災認定の判断基準について説明します。
1.認定基準の対象となる精神障害を発症していること
精神障害として認定される基準となる傷病は、次のとおりです。
尚、認知症や頭部外傷などによる障害(F0)およびアルコールや薬物による障害(F1)は除きます。
2.精神障害の認定要件
精神障害が労災として認められるには、次の条件を満たしていることが条件になります。
これらの条件をすべて満たした場合は、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する業務上の障害と認められます。
6か月間に起きた業務による出来事を、別表1「業務による心理的負荷の評価」を用いて「強」「中」「弱」の強度に分類します。
「強」と判断された場合には2の条件を満たすことになります。
■「特別な出来事」に該当する出来事がある場合
別表1の「特別な出来事」に該当する出来事がある場合には、心理的負荷の強度が「強」に該当します。
■「特別な出来事」に該当する出来事がない場合
「特別な出来事」に該当する出来事がない場合には、次の手順で心理的強度を判定していきます。
(1)どの具体的出来事に当てはまるか
業務による出来事が、別表1(P.4掲載上段)のどの出来事に当てはまるかを検証し、その具体的出来事が平均的な心理的負荷のどの強度に当てはまるのか判断します。
具体例に記載されている内容と合致していればその強度で判断し、内容に合致しない場合には「心理的負荷の総合評価の視点」の欄に示す事項を考慮し、個々の事例ごとに判断します。
(2)出来事が複数ある場合の総合評価
複数の出来事が関連して生じた場合には、その全体を一つの出来事として評価します。
原則として最初の出来事を具体的出来事として別表1に当てはめ、関連して生じたそれぞれの出来事は出来事後の状況とみなし、全体の評価とします。
また、関連しない出来事が複数生じた場合には、出来事の数、それぞれの出来事の内容、時間的な近接の程度を考慮して全体の評価をします。
■業務以外の心理的負荷の判断
(3)の「業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと」とは、次の(1)又は(2)の場合に該当するケースです。
■業務以外の心理的負荷の判断
6か月の間に起きた業務以外による出来事は、別表2「業務以外の心理的負荷評価表」(P.4掲載下段)を用いて「Ⅲ」「Ⅱ」「Ⅰ」の強度に分類します。
出来事が確認できな かった場合には(1)に該当するものと判断し、また強度が「Ⅱ」又は「Ⅰ」の出来事しか認められない場合には(2)に該当するものと判断します。
もし、「Ⅲ」に該当する業務以外の出来事のうち心理的負荷が特に強いものがある場合や、「Ⅲ」に該当する業務以外の出来事が複数ある場合等については、それが発病の原因であると判断することの医学的な妥当性を慎重に検討し、(2)に該当するか否かを判断します。
■個体側要因の評価
本人の個体側要因についてはその有無とその内容について確認し、個体側要因の存在が確認できた場合には、それが発病の原因であるという判断の医学的な妥当性を慎重に検討したうえで、(2)に該当するか否かを判断します。
3.具体的事例
具体的事例として、新規事業の担当者となったことにより、適応障害を発症したとして認定されたケースを挙げて解説します。
■対象疾病の発病
本事例では、心療内科で「適応障害」の診断を受けているため、対象疾病の発病が認められると判断できます。
■業務による心理的負荷
新たな分野の商品開発のプロジェクトリーダーとなったことは、別表1の具体的出来事10「新規業務の担当になった、会社の建て直しの担当になった」に該当しますが、失敗した場合に大幅な業績悪化につながるものではなかったことから、心理的負荷「中」の具体例である「新規事業等の担当になった」に合致し、さらに、この出来事後に恒常的な長時間労働も認められることから、総合評価は「強」と判断されます。
■業務以外の心理的負荷及び個体側要因
発病直前に妻が交通事故で軽傷を負う出来事があったが、その他に業務以外の心理的負荷、個体側要因はいずれも顕著なものではないと判断されました。
以上のことから、Aさんは労災として認定されています。
3.企業が抱えるリスクと事前防止策
本章では、精神障害が労災認定された場合のデメリットと、企業がとるべき対策について説明していきます。
1.精神障害が労災認定された場合のリスク
(1)メリット制によるリスク
労災保険のメリット制とは、納付した保険料額と支給された保険給付の比率に応じ、一定の範囲内で労災保険率を上下させる制度です。
事業主の保険料負担の公平性を確保すること、および事業主の自主的な労働災害防止努力を促進することを目的にしています。
(1)メリット改定の要件
連続する3保険年度の間における収支率が100 分の85を超え、又は100分の75以下である場合には、労災保険率が改定されます。
(2)メリット改定の方法
当該事業についての労災保険率から非業務災害率を減じた率を100分の40(一括有期事業のうち立木の伐採の事業については100分の35)の範囲内において、厚生労働省令で定める率だけ引上げ又は引下げた率に非業務災害率を加えた率を新たな労災保険率にします。
(2)安全配慮義務違反を問われる可能性の有無
企業には従業員を業務に従事させるにあたって、過度の疲労や心理的負担をかけて社員の心身健康を損なうことがないように注意する義務があります。
これを安全配慮義務といい、企業は雇用契約により従業員を管理し労働力を得ている以上、その過程での心身の健康についても管理する義務を負うというのが判例上の解釈です。
では、実際には心身・健康について、どの程度管理すれば安全配慮義務を果たしたと判断されるのでしょうか。
■ポイントは「予見可能性」と「結果回避可能性」
従業員の心身の健康について義務を果たしたかどうかについては、予見可能性と結果回避可能性があったかどうかによって判断される傾向にあります。
企業が社員の心身の健康に損害が生じることを予測できる状態であり、その損害の発生を回避する手段がある場合には、予見可能性と結果回避可能性が認められ安全配慮義務違反が生じることになります。
一方で、この予見可能性も結果回避可能性もない状況であれば安全配慮義務を履行すること自体ができないため、義務違反は生じないことになります。
ただし、どちらの可能性についても個々の状況に応じて判断されるものであり、一般的に明確なラインを引くことは困難です。
そのため、管理者は日頃から従業員の仕事内容の管理が重要であり、安全配慮義務と精神障害の労災認定基準について念頭に置いておくことが重要なのです。
2.企業が事前に行うべき対策
企業は、従業員が円滑に業務を行う上で阻害要因となる病気の発症や病気の悪化を防止しなければならず、かつ従業員の健康状態を把握して、必要に応じた措置を取らなければなりません。
(1)時間外労働の管理を徹底する
認定基準では業務上の心理的負荷により「強」と判断されるものとして、時間外労働が重要視されています。
時間外労働を行う場合には管理を徹底し、この基準を上回らないようにする必要があります。
また心理的負荷については、この基準に至らない場合であっても他の業務上の心理的負荷の程度と合計して考えた場合に、総合して「強」と判断される場合がありますので、時間外労働の管理は日常から徹底する必要があります。
(1)事前対策は4つのケアで行う
精神障害の事前の対策として、厚生労働省では以下の取り組みを求めています。
この取り組みを具体的に行うためには「4つのケア」が重要です。
これら4つのケアを複合的に行うことにより、企業としては、従業員の精神障害を未然に防ぐように努める必要があります。
(1)セルフケア
従業員が自分自身のストレスに気づき、これを悪化させない取り組みが求められます。
企業は、従業員が気づいていない自らのストレスの把握をする機会を設けるため、セルフチェックシートを用意し、時間の提供を行うことが必要です。
(2)ラインケア
部署やグループなどの管理監督者は、従業員に過度な長時間労働をさせていないか、過重な疲労がたまっていないかを把握し、配慮しなければなりません。
また、必要に応じて 従業員の相談にのり、アドバイスを行うなど早めに対処する必要があります。
そのためには、管理監督者の精神障害に関する知識を得るための研修などが必要になります。
(3)社内の専門スタッフケア
職場内に産業医等の専門スタッフがいる場合には、適切な指導やアドバイスを行います。
特に、長時間労働者や異動直後の従業員には、早めに相談を行うなどの対応が求められます。
(4)社外の専門スタッフケア
産業医がいない場合には、外部の専門機関でのケアを行うことが必要です。
主に次のような機関で実施されています。
3.未然防止の努力で企業責任を回避
精神障害による休職者が出てしまった場合に企業が責任を問われないようにするには、4つのケアで未然に防ぐ努力を企業がしていることが重要です。
これは、安全配慮義務を果たしたかどうかを判断する「予見可能性」と「結果回避可能性」にもつながります。
精神障害になる可能性がある場合は、企業には結果を回避するための対策を取ることが求められます。
そのためにも、4つのケアを実践することは非常に重要なのです。
過去の判例では、健康診断の結果を従業員に通知しなかったことを理由に安全配慮義務を怠ったとして損害賠償を認めた事例もあります。
企業が責任を負うリスクを回避するためには、日頃から従業員の健康に配慮することが重要です。
■参考文献
『トラブルを起こさないためのメンタルヘルス対策の実務と法律知識(日本実務出版)』
『メンタル疾患の労災認定と企業責任(労働調査会)』
『精神障害の労災認定(厚生労働省)』