稲盛和夫さんの「6つの精進」

今回は、稲盛和夫さんの「6つの精進」を紹介させて頂きます。
「すばらしい経営を行い、幸せな人生を生きることは、けっして難しいことではありません。
この「6つの精進」を守りさえすれば、むしろやさしいことではないかと、私は思います。」と仰っています。

1.誰にも負けない努力をする

一般には、経営をするには経営戦略、経営戦術が大事だといわれていますが、一生懸命に働くということ以外に成功する道はありません。
企業経営者に限らず、学者や芸術家でも、立派な業績をあげた方々はみな、ひたむきに一生懸命に努力を重ねてこられた人ばかりです。
私たち人間は、少しお金ができたり、会社がうまくいくようになると、楽をしようという不埒な考えをしますが、自然界にはそういうことはけっしてありません。
自然界に生きている動植物はみな、必死に、一生懸命に生きています。
一生懸命に働けば、そうした修行の過程と同じように雑念妄念を浮かべる暇がありません。
つまり、一生懸命に働くということは、人間の魂を磨くことにもつながっていくわけです。

2.謙虚にして驕らず

中国の古典にある「ただ謙のみ福を受く」という言葉を知り、謙虚でなければ幸福を受けることはできない、幸福を得られる人はみな謙虚でなければならないのだと思い、謙虚さを大事にしてきました。
成功する人とは、内に燃えるような情熱や闘争心、闘魂をもっていても、実は謙虚で控えめな人なのです。
謙虚な振る舞い、謙虚な態度は、生きていくうえでたいへん大切な資質です。
しかし、人は往々にして成功したり地位が上がったりすれば、謙虚さを忘れ、傲慢になりがちです。
こうしたときにこと、「謙虚にして驕らず」ということが、なおのこと大切になるのではないかと思います。

3.反省のある毎日を送る

日々の反省によって魂はきれいになる。
ジェームズ・アレンの【原因と結果の法則】にも「人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからはどちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこには雑草の種が舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。」
まさに反省することによって自分の心を磨いていくことができますし、そのことがすばらしい幸せを我々にももたらしてくれることにもなるのです。
この自分の悪い心、自我を抑え、自分がもっているよい心を心の中に芽生えさせていく作業が、「反省する」ということなのです。
よい心とは、心の中心にある「真我」、つまり、「利他の心」です。
他を慈しみ、他によかれかしと思う、やさしい思いやりのこころです。
それに対して、「自我」とは、自分だけよければいいという「利己中心的な心」、厚かましい強欲な心のことです。
今日一日を振り返り、今日はどのくらい自我が顔を出したのか考えてそれを抑え、真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業が「反省」というものです。

4.生きていることに感謝する

生きていること、いや、生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるすばらしいものに変えていくことができる。
不平不満をもって生きるのではなく、現状をあるがままに感謝し、さらなる向上をめざして一生懸命に努力する。
そのためにも、生かされていることを神に感謝し、自分を取り巻くすべてのものに「ありがとうございます」と感謝する毎日を送るべき。
私も若いころは、ウソでもよいから「ありがとうございます」と感謝することが大切だと自分に言い聞かせていました。
ウソでも「ありがたい」と自分にいえば、気持ちも少しは楽になりますし、心も明るくなってくるはずです。
まして、自分のこころを素直に表し、「ありがとうございます」と感謝の念を口に出せば、それを聞いた周囲の人々はよい気持ちになってくれて、和やかで楽しい雰囲気が作り出されます。
逆に不平不満の鬱積した刺々しい雰囲気は、自分を含めた周囲の人々にも不幸をもたらしていくと思います。
どんな些細なことに対しても感謝する心は、すべてに優先する大切なものであり、「ありがとうございます」という言葉は、大きな力をもっています。

5.善行、利他行を積む

中国の古典に「積善の家に余慶あり」という言葉があります。
善行、利他行を積んだ家にはよい報いがあるという意味です。
善行を積んだその本人だけではなく、家全体、一族にまでよいことが起きるということを、中国の先賢たちはいってきたわけです。
よいことを実行すれば、運命をよい方向へ変えることができるし、仕事もよい方向へと変化させていくことができる。
私はこのことを信じて、経営の局面でも、善行、利他行を実践するように努力してまいりました。
ただ単に情けをかけてあげればよいというものではなく、判断をするそのときに、小善的な判断をしたのか、大善的な判断をしたのか、つまり、情けのかけ方が問題なのです。
その上で、「情けは人のためならず」という言葉はやはり間違っていません。
他人さまに善きことをしてあげるということは、絶対的によいことなのだと私は思います。

6.感性的な悩みをしない

人生では心配事や失敗など、心を煩わせるようなことがしょっちゅう起こります。
しかし、一度こぼれた水が元へと戻ることがないように、起こしてしまった失敗をいつまでも悔やみ、思い悩んでも意味はありません。
すんだことに対して深い反省はしても、感情や感性のレベルで心労を重ねてはなりません。
理性で物事を考え、新たな思いと新たな行動に、ただちに移るべきです。
そうすることが人生をすばらしいものにしていくと、私は信じています。
仕事に失敗して、我々はよく心配します。
しかし、いくら心配しても、失敗した仕事が元に戻ることはありません。
悔やみ、思い悩んでも無意味だということはよくわかっていても、なお「あれがうまくいっていれば・・・・・・」などと思い、悩んでしまうものです。
「感性的な悩みをしない」とは、こうした意味のない心労を重ねることをやめるということです。
起きてしまったことはしようがありません。
キッパリとあきらめ、新しい仕事に打ち込んでいくことが肝要です。
不祥事を招いたのは、過去の自分自身が犯した罪、つまり業があったからなのです。
その業が、いま結果として非難という形となって出てきているわけです。
十分な反省、また二度とそういう不祥事は起こさないという決意はしなければなりませんが、いつまでもクヨクヨと心配する必要はありません。
身も心もズタズタになるぐらいにうち萎れている自分を逆に励まし、立ち直っていけるようにしていくことが大切です。
災難にあったとき、それは自分が過去に犯した罪、穢れ、業つまりカルマが結果となって出てきたのだと考えるのです。
命までとられるわけではなく、その程度ですんだのであれば、むしろお祝いをしなければならない。
そういうふうに思い、すっきりとそのことを忘れ、新しい人生に向かって力強く、希望を燃やして生きて行く。
そのことがすばらしい人生を生きていくために必要なのです。
稲盛塾長(盛和塾)は、考え方を学ぶ意義の一つをスポーツ選手のトレーニングに例えていらっしゃいます。
スポーツ選手が日々、基礎トレーニングするように考え方も一度、学んだから良いのではなく、定期的に学ぶ必要性があると。
その学ぶ教材としてこの「6つの精進」はお勧めです。
詳しくは、DVD付きの著書がサンマーク出版より発行されております。
文字も大きく読みやすいので期的に読み直すことをお勧め致します。
私・桐元も完全に実践できているかと言うと、まだまだ足りておりません。
ただ足りていないから、努力が必要とは認識しております。

(桐元 久佳)